小倉のよっちゃん

福井で活動中の会社員システムエンジニア。ビジネス視点がかなり強く、作りたいものを作るよりも、結果が出ることを重要視する。使い手が使いやすいモノを提供して、おせっかいなほど親切な仕組みを世に解き放つ。高校生の頃からノベルゲームを作ったり、大学生の頃は小説を書いたりと、文章を書くのはわりと好き。デザインセンス皆無で、個人制作のCMSで「ラグジュアリーさ出すなら紫」と意気揚々と作ったが、デザイナーの先輩に「CMSにラグジュアリーさいる?ていうか紫はないわ」と言われた経験を持つ。

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人手不足と人材余剰が起きるIT業界。

おはようございます!「R1飲んでからおなかの調子が良くなった」と、とある大物Youtuberの弟である同僚のSさんにお勧めをもらい、R1を毎日飲んでいる福井で頑張るSE小倉のよっちゃんです!「これでお腹バッチリや!」と意気込んで、ガンガンお酒飲んでいたのですが、さすがにそこまではカバーできず、この記事を打ち込んでいる今、腹痛と闘っていますw(自業自得ですね)さて、腹痛と言えば、前職はガッツリとシステム開発をしていて、納期や金銭のズレが無いように、システムが止まらないようにと様々なことで胃痛に悩んだものです。そんなIT業界と少し離れて、今は社内SEをしているわけですが、ネットで記事を読んでいるとこういう記事をよく見かけます。IT業界「人手不足」と「大量の人余り」が同時発生最近の記事で言えば、Yahooニュースで「IT業界「人手不足」と「大量の人余り」が同時発生 これってどういうこと?」とネタが上がってたり、昨年末には「人材余剰は、2022年から始まる あなたは、今のスキルで生き残れるか? 三菱総研調査考察 第三弾」といった記事が上がっています。それって、どういうことか?そして、それを回避するには?そんなことを考える今回の記事は、8分で読めます。

どうして人を咎めたり貶めたりしようとするのか考えてみた

こんばんは! 東経136度、北緯36度からお届けするのは、この男~。本職はシステムエンジニア、小倉のよっちゃんでございます。昨日は、会社の新入社員の歓迎会っということで、新入社員の様々な一面を見ることができました。まず、圧倒的な若さを感じますよね。ジェネレーションギャップも感じましたね。自分が老けてしまったのも感じました。そんな彼・彼女らが社会経験を通じて、個々の強みを残しながらも立派な紳士・淑女になっていくと嬉しいですね。さてさて、今日はふと考えていたことがあって、「どうして人は人を咎めたり貶めたりしようとするのだろか?」ということです。今回も前回に引き続き、何かあったから書く記事ではないのですが、自分の弱さを考えている時にふと出てきたテーマです。咎めたり貶めたりしようとするシチュエーションどんなシチュエーションがあるか、色々想像しながら書いてみます。自分と意見・波長が合わない人がいる部下や後輩が言うこと聞かない(暴走モード)上司に能力がない指示が多くて、やることが多すぎて困るやり直しと言われて、何回もやり直しをさせられる伝えたはずなのに覚えていないまだまだあるんでしょうけど、これらに共通するのは自分が攻撃されていると感じる時なのではないかと思います。それって結局自分の弱さじゃないですか?こういうのって結局は自分の弱さから生まれるんじゃないかって思うんですよね。上記例に対して、ツッコミをいれてみましょう。※若い社員がこれ見ると、僕を攻撃してきそうですが、それもその人の弱さからくるだけなんだろうって話。自分と意見・波長が合わない人がいるそれって自分が周囲に合わせる力 or 聞く力 or 受け入れる力が不足しているだけでしょ?自己中心主義になってない?部下や後輩が言うこと聞かない(暴走していると感じる)自分のリーダーシップ能力が不足しているのに言い訳してない?コミュニケーションへの努力を怠っていないか?上司に能力がない自分がその上司の部下になっている理由ってあるんじゃないか?考えが足りてないんじゃない?指示が多くて、やることが多すぎて困るそれをさばけない自分の能力不足ってことはない?無理なら無理って言える勇気がないだけなんじゃない?やり直しと言われて、何回もやり直しをさせられる納得させることができない自分の能力不足が原因だったりしない?それとも、捉え間違いをしていない?伝えたはずなのに覚えていない逆に自分は全部覚えている?その人が抱えているものを全部わかってる?自分の能力が足りてないから、イライラを感じて、攻撃的になるんじゃないかって思うんですよ。僕も身に覚えはあります。もう一人の自分が冷静に客観的に考えてみると、イライラしたりするときって、自分の能力不足からくるわけです。自分の弱さから来ていて、それをまるで攻撃されているように感じるって、人間って欠陥だらけですよね。自分の能力が不足している現実を受け止めると、自分が何を改善すればいいか意識が向きます。相手を批判しようとするとき、自分が有利で優れていると考えるとき、それは自分の弱さを隠そうとしたり何かのせいにして、逃げようとしているんじゃないかって思います。厳しい意見だけど、自分が弱くて未熟だからくるんですね。誰のせいにもできないとツラいって話そういう自分を受け入れて考えてみると、実は誰も悪くなくて原因は自分の内なるところからくるんですよ。そうなってくると、誰のせいにも何かのせいにもできない。これって、本当にキツいんです。逃げ出す場所がない。はけ口がないからね。それで自分がダメになっちゃうのは良くないけど、そんな醜い自分をさらすのってもっと良くない。そこに立ち向かえないときは、海に向かって叫んだり、体を動かしてその思考を忘れたりして、気分転換しましょう。だけどそれが成長になるのさそうやって頑張れば、人間としての器が大きくなると思います。この表現が正しいかはわからないんだけど、そうやって自分の気持ちを鍛えていくと、些細なことで人を咎めたり貶めたりしようとしなくなると思うんです。ネガティブな感情のエネルギーが無くなれば、相反するポジティブな感情のエネルギーが芽生えて、人生はもっと豊かになると思います。そしたら、それってハッピーじゃね? って話。過去の記事「性善説・性悪説の中間の説の提唱」で書いているように人は弱い生き物だからこそ、時には自分の弱さを受け入れることができずに、攻撃的になってしまうかもしれない。それでも、少しずつでもいいから前へ、前向きに前向きに進めていけたら、本当に幸せな人生にできると思う。誰かを責め立てるよりも、描きたい未来に進む建設さの方が素敵やん?頑張ろうね。

人を強くするレジリエンスについてわかりやすく書いてみた

おはようございます。SE業を生業としている小倉のよっちゃんです。今朝はアマゾンプライムで「50回目のファーストキス」(アメリカ版:2004年米公開・2005年日本公開)を字幕で見てました。昨年、日本版の50回目のファーストキスを一人で映画館に見に行ってました。今日アマゾンプライムで作品を眺めていると「ほ~アメリカ版があるのか~」と思い、気になったので見てみました。そして、僕は泣いたw日本版は2018年にリメイクされた作品で、山田孝之・長澤まさみ主演、福田雄一監督が手掛けていて、福田組恒例のムロツヨシ・佐藤二朗も出演しています。そっちを見てからの今回。比較しながら見てみるのは面白かったですね。個人的によりコミカルさを出している日本版が好きかも。というか福田組作品が好きなんだよな。まあ、昨年一人で映画館行って見たときも一人泣いてたんですがw記憶が連続して保たれているって幸せだな・・・でも、記憶がなくても愛でつながることもできるんだと思い、うるうるしてました。まあ、愛のない独り身ですが。さて、昨日「セルフコンパッション初心者がストレスに負けない方法を書いてみた」という記事を書いていて、ちゃんと理解できていないキーワードがありました。レジリエンスという言葉。昨日の記事は調べながら書いていたのですが、セルフコンパッションの記事にまとめるのができないぐらいのキーワードだったので、別記事としてまとめてみます。それでは、行ってみます!この記事は5分で読めますレジリエンスとは?元々は物理学用語でストレスと対になるものとして生まれた言葉だそうです。ストレスが「外力による歪み」を意味し、レジリエンスは「外力による歪みを跳ね返す力」。(Wikipedia調べ)その後ポジティブ心理学では「逆境から素早く立ち直り成長する能力」を意味するものとして使われるようになっていきます。日本語では、「打たれ強さ」「折れない心」「心のしなやかさ」「跳ね返る力」と訳されることもあるようです。Google翻訳によればResilienceを訳すると「弾力性」「回復力」「反発力」と出ます。

信じるか信じないか? それが成功と失敗につながるって話。

こんばんは。最近は、色々とあってブログ更新頻度が下がっていますが、私は元気です。どうも、福井のSE小倉のよっちゃんでございます。最近いろいろと考えることも多く、今回のブログ記事は「信じる心」の話。僕を信じてくれるって少ない唐突ですが、僕を信じて僕の意見に耳を傾ける人が少ないんですよね。で、それは僕自身の日ごろの言動からそうなっているんでしょうけど。ただ、僕には見えていて、その人には見えていない世界があるわけです。そういう時にいろいろと指摘をするんですけど、聞いてくれないんですよね。(信じてくれていないから)そのまま時が経って結果になるとき、大体失敗している。こうしないと別れがすぐ来るよ。→すぐに離婚。このままでいたら破産だよ。→破産。それ、騙されてるよ。→詐欺に遭遇。その時浮かれ気味な人に対して辛辣な意見をするもんだから、僕は煙たがられたりします。でも、本気で心配しているから言うんだけど、通じないものです。僕も同じように人から辛辣なアドバイスをしてくるときは、その時はムッとなったとしても、その意見に耳を傾けていきたいものです。誰を信じるか信じないかこれは人それぞれ。大切なのは自分を高みに連れて行ってくれそうな人か、成長させてくれそうな人か、成功をさせてくれそうな人か。この誰を信じるかは自分の成功と失敗に大きく影響してきます。自分を怠惰に導く人、足を引っ張る人を信じてたら、当たり前だけど成功の要因がないですよね。失敗するには失敗するなりの理由というものがあります。だから、自分がだれを信じて信じないかを選ぶというのは大切なことだと思います。必要なものは信じる深さこんなこと書くと宗教家ですか? って感じですよね。僕は無宗教派なので、特定の宗教に属さないのですが、「本当にこの人スゲぇわ! 信じよう!」って人が見つかったなら、信じてみていいと思うんです。勿論、洗脳してきたり、お金を無心してくるような輩はダメですよ。誰かを貶めるための思考を持っている人も避けた方がいい。疑った方がいいです。ある程度自分と価値観が似ていて、でも少し違う人。そういう人は特に望ましいと思います。信じる時は、ガツンと信じて飛び込んでみる、というのも大事なんですよね。ただし、自分がおんぶにだっこで信用してたって、何の意味もないですけどね。自分がやるんだ、って気持ち。何かとうまくいかない人たちに共通することって、こういう「信じる」という部分なのかなって感じました。見極めて成功しよう