終わりについて考える。


連投記事で失礼します。

福井でマネージャー業務もする謎のシステムエンジニア、小倉のよっちゃんです。


前回の記事「久しぶりの更新なので、雑談オンリー記事。」で書いたように、休日はサンデー・プログラミングをするひと月でした。

僕は家でコーディングするときの多くの時間は、動画を流しながら作業をしています。

無音でやるより、何か雑音があった方が集中しやすいので、そうしています。

Amazon Primeで様々な動画を流しますが、どのドラマや作品にも終わりがあります。


昨日は、「仮面ライダーW(ダブル):2009年~2010年」を見終わりました。


今も「ウォーレン・バフェット氏になる」を見ながら書いています。

(じっくり見たいのでやっぱり止めときました)

ダブルの物語の世界には終わりがあり、バフェット氏の人生にも終わりがある。

勿論、僕の人生にも終わりがあるわけです。


7つの習慣でも言われている第2の習慣「終わりを思い描くことから始める」ということですね。


仮面ライダーWを見ていて、終わりを迎えて少し寂しい気持ちがあり、「終わる」ということは、どういうことか。正面に立って見れているのか、という疑問をもちました。

「終わる」ということに目を背けず立ち向かえることは、実は難しいのではないのかと。


今回書く記事は、「終わり」について。


この記事は5分で読めます。




RPGで最後までやらないタイプの男

僕は幼稚園~中学生ぐらいまでは、ゲームがとても好きな子供でした。

アクションゲーム・シミュレーションゲーム・作るゲーム・RPG。こういうジャンルのゲームが好きでした。

この中で最後までやらないのはRPGでした。

アクションゲームはスーパーマリオのようにクリアしても、また最初から始めればいい。

シミュレーションゲームはパワプロのように、何週も異なるシミュレーションをして楽しめばいい。

作るゲームはRPGツクールやサンドノベルツクールのように作ることに終わりはない。どんどん作りこんでいける。


しかし、RPGにはストーリーの終わりがある。また、最初からやればいいと思っても、物語は完結している。

だから、僕はRPGを最後までやるのが嫌でした。

このキャラクターたちとの別れのような、そんな思いでした。


そう考えてみると、僕は終わりから目を背けていました



時間は有限で終わりはある

10代後半から20代後半にかけては、自分が興味を持ったものはどんどんやっていき、自然とどんどん興味が移っていく、そんな生活をしていました。

終わることを意識もせずに次へ次へと移っていくから、終わるということ自体を意識せずに終わらせていました。

旅行をすれば終わりがあるけど、また次の旅行で楽しめるから大丈夫だと。


終わりというものを知っているようで、まったく知りませんでした。

終わりがそこにあるとわかりつつ、気にしないふりを続けてきました



人との出会いと別れ

今に至るまで、仕事の上で、多くの出会いと別れがありました。

ずっと一緒に仕事をしたいと思った人も、この人と仕事したくないっていう人とも平等に別れはやってきていました。

今は出会いも別れにも一喜一憂せず、自然体のように受け入れるようになっていました。


しかし、それは「終わり」に対して鈍感である自分になっているだけなのではないかと思いました。



終わらせることの意味はそれぞれ

仕事が終わるということは、結果になる。

恋が終わるということは、新たな恋の始まりである。

人生が終わるということは、死である。


そのことを認識できているのか?

それぞれを逆に考えてみる。


結果を出すために仕事を終わらせる。

新たな恋のために恋を終わらせる。

死ぬために人生を終わらせる。


僕は僕自身が臆病だと思う。立ち向かわなければならない「終わり」というものに対して。


終わりに立ち向かうとは、「終わり」を認識して意識して勇敢に行動することだと思います。

綺麗ごとでは収まらないものだと解釈しています。


僕はよく「明日死んでも後悔しない人生を送ろうと意識している」と言っているのですが、実際に死ぬということは怖い。

体験もできない、終わりという見えない世界に怯えていたって何も変わらないのは理解しているが、その事実に直面した時に立ち向かえるだろうか。


「終わり」があるということを正しく認識し、その恐怖に打ち勝つことは思っているより難しい。

見ぬふりでも、鈍感になるのでも、薄めることでもなく、正面から向き合う。簡単じゃないと思います。



終わりと向き合うことで得られる気づき

本当に終わるということに向き合えたら、自分の人生がより豊かになると思います。


ドラマや映画の場合、この作品には終わりがあるということを意識すれば、集中して見られる。

だって、今この瞬間でしか見られないものなのだから。(※多くの作品の場合)


仕事の場合、今やっている仕事には終わりがあることを意識すれば、一所懸命になれる。

だって、今この瞬間でしかやれないことなのだから。


恋の場合、今付き合っている人と別れることがあることを意識すれば、もっともっと大切にできる。(別れは、死別も含む)

だって、今この瞬間しかともにいられないのだから。


人生の場合、生きるということに終わりがあることを意識すれば、1分1秒を大事にできる。

だって、今この瞬間しか生きられないのだから。


ダラダラと過ごす日々は、終わりを意識していないからにほかならず、終わりの恐怖に立ち向かえていないからにほかならず、ということなのです。


執着心がある方が終わることの恐怖は生まれると思いますが、その執着心を捨てるのではなく、終わりがあることを受け入れることが大切なのかと思います。



まとめ

ふと感じた疑問をアウトプットすることで、脳の中身を整理しようとして書いた記事ですが、うまくまとまらないですね。

喜劇王チャールズ・チャップリンの「人生に必要なものは、 勇気と想像力。それと、ほんの少しのお金です。」という言葉に、「勇気」という言葉が含まれるように、勇気をもって生きることって大切ですね。

終わるということを受け入れるのは実は怖いことだから。

それでも、勇気をもって受け入れて進んでいけば、ステキな終わりを迎えられるのだろうと考えます。


終わりは必ずあるから、

すぐそこにあるから、

終わりを感じながら恐れずに生きていこう。


頑張ろう!


小倉のよっちゃん

福井で活動中の会社員システムエンジニア。ビジネス視点がかなり強く、作りたいものを作るよりも、結果が出ることを重要視する。使い手が使いやすいモノを提供して、おせっかいなほど親切な仕組みを世に解き放つ。高校生の頃からノベルゲームを作ったり、大学生の頃は小説を書いたりと、文章を書くのはわりと好き。デザインセンス皆無で、個人制作のCMSで「ラグジュアリーさ出すなら紫」と意気揚々と作ったが、デザイナーの先輩に「CMSにラグジュアリーさいる?ていうか紫はないわ」と言われた経験を持つ。

0コメント

  • 1000 / 1000

福井のハッピー野郎のつぶやき

生涯最後の日に笑って逝きたいので、自分に関わる全ての人々をハッピーにしたいと思っているハッピー野郎の人生哲学・直近の出来事を掲載していく予定です。 福井で働くシステムエンジニアです。技術職の人間なので、IT・プログラミング・DB・WEB技術・インフラについても書いていきます。